ハッキリと共感できる人間関係のセンシティブな心理

ハッキリと共感できる人間関係のセンシティブな心理

投稿日: カテゴリー: 人間関係の微妙な心理

無愛想な人になればなるほど、心の苦しみや非常に大きい恐れを抱く
会社のお酒の席で、あっちもこっちもドンチャン騒ぎしているにもかかわらず、片隅のほうに座りひっそりとグラスを傾けている人がいる。
そのような人は、日ごろより無口で、どんなことが起きたとしても表情をあんまり変えない沈着冷静タイプです。

とは言っても、先入観をかなぐり捨てて彼らを観察してみれば、その方が心に奥深い圧迫感を背負っていることに気づかされるのではないか。
人間は、心にダメージを受けたり、非常に大きい恐れを抱いていると、それを周囲の人に悟られまいと、感情を抑える場合がある。

本当のことを言うと泣き出したいぐらい辛いながらも、それを隠す方法で、冷静になって振舞おうとする。
当事者からしたら、格好を付けて冷静に振舞っているということではなく、感情を抑えているだけかも知れません。

そのことが習慣化しますと、幸せな気持ちや心の平静といった感情さえ押し殺すはめになり、ゆくゆくありとあらゆる表情を失ってしまう。
それを心理学では、「デスマスク表情」、すなわち死人の顔と呼ばれる。

過去を背負った、いわくつき主人公のカッコ良いさが魅力であるのは、スクリーンやドラマの中だけという話。現実世界では、表情をまるで崩さない人は、心の憶測に奥深い不安を抱いているきらいがあるワケです。

八つ当たりしてしまう人が奥深いところに秘めているもの
八つ当たりは、無関係の第三者に怒りや不満をぶつけることだけれど、心理学では、このような状態を「置き換え」と呼んでいます。
会社で上役にイヤミをはっきり言われた人が、家の中で奥様に八つ当たりすることになる。
その理由は、上役への怒りを奥様に「置き換え」ているわけです。

そのようなとき、奥様に非が見られるというわけでも、奥様が憎らしいというわけでもないと思われます。それにもかかわらず、無関係の人に当り散らしているのは、「自我防衛規制」が原因になっています。
イライラする気持ちや怒りは適度に発散しない限りは、近いうちに精神のバランスが異常になってしまいます。

会社員が仕事の帰りのスナックや居酒屋でグチることも、その発散行為ともいえるわけです。
とりわけ、凄まじい怒りを抱えているケースでは、即座にガス抜きを行なうことが必要です。そのため、上役への怒りを奥様に、置き換えて八つ当たりを行なう。といったことが生じます。

もちろん、八つ当たりされているほうは、たまったものではないのですが、やってしまう方からしたら、この理由は心の”健康法”と考えられます。
また、失恋したタイミングすぐに思いもよらない相手を見つけ出す人がおりますが、このような場合も「置き換え」のひとつ。
愛おしく思う対象を失った時、別の人を愛することとなるのは、心のバランスを保持するからこそ、自然と機能する流れというものです。

「失恋したばっかりの女性(男性)は落としやすい」としたり顔で言う人いるのですが、もちろん個人差にあるとしても、心理学的にも一定レベル以上正しいとらえ方だと思われます。

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人付き合いがわずらわしくなる原因はどんなところにあると思われますか?
気の合うお友達同士や恋人同士であっても、旅先になるとトラブルに見舞われやすいと思います。不慣れな移動で疲れている、相手とかなりの時間過ごす状態で、利己主義が生じやすくなるなど、お互いに欠点が見やすくなるためです。

喧嘩とまでは進行しなくても、旅先から帰ってきて一人になってしまった時、ホッと一安心した経験のある人はけっこう多いと思われます。
親しい間柄でさえもそうなんですから、初対面やビジネス上の交流ともなれば、その何倍も心配りすることが考えられます。

人付き合いは、どういう訳で疲れると思いますか?
その理由の一つは、心地良いと思っている親密さが、人によりまちまちビミョーに異なることと関係しています。
意識していない場合でも、人は相手との親密差のレベルを無意識のうちに行なっているんです。
しかし、その的を射た”距離”を探し回ったり、保ち続けたりすることは、相当なエネルギーが欠かせない作業ですから、好ましい距離を保持する作業だけのことで精神的に疲れてしまう結果に。

おおまかに分けると、対人関係の距離のとり方には二つのタイプが存在します。
一つは、相手とこれまで以上に親密になってみたいと考えるタイプと、もう一つは、相手との距離をなるべくなら長く維持しようと感じるタイプです。

心理学では、前者が感じてしまう不安を「見捨てられ不安」、後者が感じてしまう不安を「飲み込まれ不安」と呼んでいるのです。
見捨てられ不安感じる人は、人付き合いの中で満足感を見つけ出し、第三者と一緒にいることに好意を持っています。
初対面から人なっこくて、気さくなタイプです。

一方、飲み込まれ不安に感じる人は、自分の考えを優先している人です。
相手とあるレベルの距離を離して付き合ったほうが安定化するし、距離が近すぎると、プライバシーを侵害されたといったような憂いを感じるそうです。
人付き合いの疲れを和らげるためには、お互いの距離感を頭に入れて、バランスのとれた距離を保持するように調整することが必要不可欠です。

優しすぎる人が態度を激変させるときがあるのは?
何かある度に親切であった人が、何かしらの要因で態度を豹変させることがあるのです。
その時までは、いつもながら親切でにこやかに振る舞い、自分自身のことはほったらかしにしても、相手のことを考えて尽くしているような献身振りを発揮していた人が、予告もなしで、憎悪を剥き出しになして、冷ややかな態度を取る場合があります。

思い浮かぶ原因が見られない場合、まるっきり人が生まれ変わったように思えるでしょうが、実際のところ変身以後のほうがその人の正真正銘の姿かもしれないですね。
人の世話をやいたり、厚意あふれる行動をとる人っていうのは、その裏返しとも言える冷酷さや残忍性を密かに持っているタイプがいるためです。

これは「反動形成」と考えられる心理で、自分本来の欲求とは全く逆の行動を取ってしまうことになります。
冷酷な人が厚意あふれる態度をとることもそのひとつで、本当の気持ちでは相手を信頼していないですし、好意を寄せている気持ちもないのです。

だけど、人に対し冷たくするのは良くないことだと思っていますので、自分の冷酷さを抑圧してしまうのです。
すると、その反動が他人に対してあり得ないほど親切にしてみたり、献身的にすることが起きます。
怖ろしいことは、自分の心にウソをついて思いやりの気持ちをもって振る舞い続けると、皮肉なことに相手を恨む気持ちが膨れ上がっていくわけです。

その限界をオーバーしたとき、冒頭(態度を激変させる)という様なことが起きることになります。
このようなタイプは、親切が度を超えていたりとか、優しいというのにどことなく不自然な感じがするのが特徴になります。
身近な所にそういった人がいるとすれば、用心深く付き合ったほうがよいと思われます。

「空気が読める人」となるために最も求められる能力とは?
和気あいあいと冗談を言い合っているというのに、一人だけ大真面目に「そういった冗談は良くないと思います」と言い出したり、それとは逆にシリアスな場面で意味なくおちょくってみたり、お酒の席で「もうお開き・・・」といったムードが漂っているというのに、自分だけ「生ビールお替り!」と言い出すというような人が、あなたの周囲にもいらっしゃるでしょう。

こういった空気を読めないタイプは、「セルフモニタリング」のモニタリング傾向が低レベルな人と言えます。
セルフモニタリングとは、心理学者のマーク・スナイダーが提唱した概念で、自分自身の現在の状況観察・評価したり、コントロールすることを言うのです。

こういった能力が高い人は、自分自身の置かれた状況や立場をスピーディーに把握して、どういった場面にもケースバイケースで何とかします。
実のところはしゃぎたくても臨機応変に抑制するとか、それとは逆に退屈していたとしても、関心があるように振舞うことができる。
よく言うと、集団に溶け込みやすいように、人当たりが申し分ないタイプという訳ですが、悪く言いますと、腹の底と振る舞いが一致していないタイプですので、二枚舌を用いる人も一部にはおります。

一方、セルフモニタリングの能力の低レベルな人は、周囲の状況にそれほど深入りしないタイプです。
場の空気というよりも、自分自身の感情中心に行動するため、暗黙のルールで営まれている集団のルールから外れやすいワケです。
結果的に、集団の誰だかと衝突するとか、一人きり浮き上がった存在となって、空気が読めないと言われる人となっています。

しかしながら、別の角度から見れば表裏を持っていない正直な人だと言えるでしょうが、こういった人に、意地悪な人はいないと断言してもいいと思います。

「八方美人」はどんな事を求め、万人に良い顔をするのだろうか?
人間には例外なしに、人に認めてほしい、評価を得たいという欲求があるものなのです。
だめ人間と言われているよりは有能な人と思われたいですし、非難の的になるよりは賞賛されていたい、嫌がられるよりは好かれたい、そのように望むことは、一人の人間としまして当たり前の事でしょう。

心理学では、これを「承認(を求める)欲求」と呼んでいるのですが、その中には人から承認されたい、良く思われたいという気持ちが誰よりも強い人がいらっしゃる。
こういった人は、よく言う「八方美人」タイプでしょう。こういった人は、自分自身の自信が一切無いので、その都度人から承認を手に入れることのできないと不安になってしまうものなのです。

こういった心理実験があるのです。大学生を実験室に呼んで、どのようなことでも構わないから自分に関して話すように求めます。
その場合、引き手側は「うんうん」と相槌を打ちつつ聞くパターンと、相槌を打たずにひたすら話を聞くパターンとの2パターンにより分けて実験を進行します。

そうすると、聞き手の相槌とは無関係に話すタイプと、相槌に敏感に反応したりして、聞き手の望みそうな話題をネタとするタイプに分かれたのです。
その場合、相槌に反応して話題を変えたタイプは、相手の承認を強く求める”八方美人”タイプだといえます。

一般的には、八方美人タイプは、自分の考えを主張することは無く、人を攻めたり、傷つけたりすることはありません。
集団の中では、没個性的で、周囲の人から説得されやすいタイプと言えます。つまり、御しやすいタイプであって、嫌がられる要素は少なそうだと思われますが、そうは言っても「あの人って、八方美人だね」と陰口を叩かれるのって、こういったタイプの中においては、良い子ぶっていながらも、影でこっそりと”ズル”をする人が含まれているからだといえます。

どなたかと一緒に居たくなるときの心理法則
健康状態が悪かったり、不安に感じている場合には、一人で居るよりも誰か居たほうが心強く思うものです。
心理学ではそのような心理を「親和欲求」と呼びますが、それはどういった状況の中で生まれる心理なんでしょう。

女子大学生を対象に実施した心理実験をご紹介します。
実験に協力するために会場に足を運んだ女子大学生たちは、博士と名乗る男性から、間もなく行なわれる実験が電気ショックであることが告げられます。

その場合、一つの学生グループには、「この電気ショックの実験は、強力な痛みが発生するものである」と説明します。
一方、もう一つのグループには、「痛みはちょっとだけで、さして不快なものじゃない」と説明します。

このようにして、二つの条件を作ったうえで、女性学生たちに「実験のセッティングが整う間、他の部屋で待って欲しい」と告げます。
さらにその場合、「個室で一人で待っているか」そうでなければ「大部屋で別の人と一緒に待っているか」を選んでもらいます。

そうすると、「強力な痛みが発生する」を説明され、不安をあおられたグループの女子大学生には、別の人と大部屋で待つほうを選ぶ人がほとんどでした。
すなわち、強力な不安を抱いているときほど、「親和欲求」が高まったという訳なんです。

だからと言って、一緒に居る相手はどなたでもいいという訳じゃなく、親しくない人よりも親しい人、まったく異なる境遇の人よりも、自分と変わらない境遇の人を選択する傾向にあるのです。

何となく一人で居たくない時の心理とは?
人は、不安を感じたり、明確になっていない状況に置かれると、孤独を遠ざけ第三者を求める心理が働きます。
これを「親和欲求」と呼ぶことは、前頭で話した通りになりますが、人間の心とは複雑なもので、人を求める欲求をもう一方で、一人になってみたいという願望を持つこともあるでしょう。

例えるなら、ある日突然、会社からリストラを言い渡されたとします。解雇通告に、初めはパニックを引き起こししばらくすると、会社への怒り、口惜しさ、未練、この後に対する不安などさまざまな感情が湧いてきてしまいます。
そういったときほとんどの方は、家族や恋人のもとに飛んで帰りたいとは考えないでしょう。

慰められても気が晴れる訳という訳ではありませんし、何よりも惨めだ。きっと「一人で居ること」を選択するのじゃないでしょうか。
こんなふうに、人と居ることを回避する心理を「親和回避欲求」と呼びます。
どういった状況で「親和回避欲求」が働くかということは、1963年ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された直ぐ後に行なわれた、調査結果があるんです。

調査の中で、「事件を知ったとき、あなたはどうしましたか?」という質問がありますけれど、これにつきまして全体の54%の人は「第三者と話をしたいと考えた」と回答したのに比べ、40%の人は「誰にも顔を合わせずに一人で居たかった」を回答したのです。

一人で居たかったと回答した人のほとんどは、ケネディ大統領の支持者ということで、ショックで冷静さを失う自分自身の姿を人に見られたくなかったのでしょう。
こういったふうに、自我をコントロール不可能ような状態のでは、他の人と一緒に居ることを不快だと感じることがあります。

これといってショッキングな出来事もなくても、疲れているとか、イライラしている場合は、一人になりたくなるのですが、これも自我が脅かされるということを嫌って、親和回避欲求が働くためと考えています。
いずれにしても、誰かに「一人にして」だそうですときは、何もせず放って置いてあげたほうがいいでしょう。

「一人にして」と言ったら、自己を否定されたような気にもなるものだったとしても、そんなことはありません。
相手は、自分を防衛するために一心不乱というわけです。

いつだって威張っている人は内心、何を考えておられるのか?
「男の人って、どうしてなんだあんなに威張るのでしょうね、アタマに来るわ」という女の人がいるわけですが、正直言って女の人に比べて、男の人に威張ったタイプが多いのは実態。
何のために、かなりの男性のみなさんは威張りたがるのでしょうか。

その原因を「社会的承認欲求」の強さに求めるのです。

「社会的承認欲求」とは、第三者から承認されたり、第三者から尊敬されたいという心理的なことで、こういった欲求は、一番に女性より男性であればあるほど強いというわけです。
簡単に言ったら、男性には「一人前の男にふさわしく認められたい」「なめられたくない」といった欲求があって、残念なことに「威張り」の原動力となっています。

しかしながら、この「社会的承認欲求」の強さは、よくある「男らしさ」とはハッキリと違うものです。
などというのは、社会的承認欲求の強いタイプの男性には、他の人に服従しがちな、同調することが多い、説得されやすい、それに防衛的だという、といった傾向があるためです。

威張っているから男らしく見えることがありますが、性格的にはまるっきり逆となっているのがほとんどです。
また、このタイプの男性は、外見的には「偉そうに」振舞っていたところで、その内面をのぞいて見たら、自己評価は以外と低く、態度は偉く見えても、「内心は恐怖と自己嫌悪感でいっぱい」といったことがほとんどです。

威張るという行為は、本当のところ自信の無さの現われというものです。実際のところ、カッコたる社会的地位を獲得している人や、周囲の人から承認されているといったような人、自分自身の才能や能力にプライドを持っている人は、露骨に威張ったりはしないでしょう。

それとは逆に言えば、人に威張れることがない人ほど、よく威張るといったことが可能なんですね。

すれ違いが見られる「コミュニケーション・ノイズ」とは?
恋愛についてを歌った歌詞には、「届かない想い」というようなルーティンフレーズがあるのです。これほどあなたを想っているというのに、その心はあなたには届かない、といった切なさに満ちた恋心を描写するものでしょうが、これは、考えれば不思議な話しです。

なにより、人には「言葉」といった伝達手段が存在します。口下手で気持ちがうまく伝えられなければ、メールを送る、プレゼントアタックする、デートに誘うなどやっていけば、胸の奥底は十分に伝わりそうなもんです。

それでいて、現実世界では、すれ違ったり、思い違いされたり、ひどいときになったら逆恨みされるとか、何かにつけトラブルが起きてしまいます。
どうしてでしょう?

恋愛を例に考えたら、好きな人を遊びに誘ったり、プレゼントしたりしていけば、普通それについては「あなたが好きです」といったメッセージが込められていると考えられます。
そのメッセージを相手が汲み取ってもらえるのなら、「私も好きよ」になって(ダメなこともあるでしょうが)、コミュニケーションが成り立つことは間違いありません。

けれども、実際のコミュニケーションのうえでは、こういったメッセージの読み取りを抑制するいくつもの”邪魔”が入る状況に。
それを「コミュニケーション・ノイズ」と呼びます。いちばん多いノイズは「心理ノイズ」と呼ばれるものです。

例えば、「今日はじめて、告白するぞ!」と腹をくくっても、いよいよ本人を目の前にするとしどろもどろとなったり、緊張がつのり、考えてもみないドジを踏んで、あえなく玉砕ということに見舞われやすい。
フラれた後で、あのプレゼントが問題点だったのだろうか、食事が美味しくなかったのかな・・・なんていうように考え込む人も少なくはありませんが、本当は自分自身の心理状態が生み出したノイズが、コミュニケーションをブロックしているケースがたくさんいます。

それのみならず、年齢差や職業、環境が異なってくるために生まれる障害を「社会的ノイズ」。言葉の通じない外国の人たちや方言などの音声での障害を「音声ノイズ」といいます。
ほかにも、綴った手紙の文字が汚すぎて読めないとか、心の内を告げたのに、周辺の騒音がうるさくて聞こえないというような障害の場合だと、「物理的ノイズ」と呼びます。

告白を行なう時は、少なくとも静かな場所に決めることが適切でしょう。

疲れても「良い人」を止めることはできないワケとは?
世間では生真面目で、勤勉で、責任感が強くて、几帳面な性格で、周囲の人から「良い人」と言われている人がいます。
しかし、精神医学の世界では、こういった人ほど「ストレス性うつ病に罹りやすい」と見ます。

うつ病に罹らないさえも、こういったタイプは、一般の人々よりも疲れやすくて。過労自殺をする人には、こういったタイプの人が多いということです。
どうして「良い人」ほど疲れやすいのでしょうか?

その答えは、「良い人であるから」と言うしかないです。こういった答えに疑問が出てくる人は、試みとして「真面目で、勤勉で、責任感が強く、几帳面な人」となって見るといいでしょう。
たぶん、1週間でヘトヘトとなるはず。

「良い人」は、いつだってニコニコしていますから、見た感じでは疲れているように見ることができませんが、実際には非常に疲れる生き方というものです。
それでは、「良い人」はどうして、そのような疲れる生き方をするというのでしょうか? その答えは、無意識のうちに、自分自身の行動基準を周囲や他の者に求めるためです。
「良い人」には、環境や外的な基準に必要以上に適応したいとする人が多く、心理学では、このような状態を「過剰適応」と呼びます。
通常人は、自分自身がしたいかそうでないのか、自分自身が楽しいかそうでないのか、自分にとって得かそうでないのかで行動するものなのですが、「良い人」タイプと言うと、環境や他の者の基準に必要以上に適応し、自分自身の気持ちを抑え、周囲の視線や他の者からの評価に基づいた行動をしようとする傾向があります。

ある意味、いつだって周りを気にしている訳で、そんなことでは疲れないほうが可笑しいです。
「近ごろ、どうにも疲れやすい」とおっしゃる人は、自分自身の基準で行動を行っているか、外的な基準に振り回されていないのか、一度確認しなおしてみるといいのです。

過剰適応は、危険度の高い心理状態といえ、他の者から評価を獲得できなくなると、そんなことだけで自信を失い、過激な場合は生きる意味すらも見失ってしまうことになるのです。
そういうふうな傾向のある人は注意が必要です。

第一印象で後悔しないための一番シンプルな方法とは?
人は、初対面の相手から、たくさんの要素を感じ取り、そうして第一印象を形づくっているのです。
その要素には、「穏やかな人」とか「冷たそうな人」というような性格的特徴ばかりか、「頭の回転が早い人」「教養のある人」といった知的特徴、さらに「行動派でエネルギッシュな人」「覇気のなさそうな人」といった意欲的特徴などが挙げられます。

しかも、第一印象を大幅に左右するのが、”見た目”が見られます。
昔より「人は外見で判断してはいけない」と言われてきたのですが、それはいかに外見で人を判断しやすいかの裏返しだと思われます。
人間は、初対面ではずいぶんの部分、身体的・迎権的特徴などを通して、相手の印象を決定しているのです。

このような傾向は、相手が異性の場合では、ますます目立つようになります。
心理学者E・ウォルスターらが行なった実験からでは、被験者の男女がダンスのパートナーを選択する時や、それから、デート行なう行なわないは、外見的魅力に圧倒的に影響を受けていることが分かりました。

ある意味、相手の人柄や知的レベルというよりも、外見のほうが大事なのです。
と聞かされて「顔もスタイルも駄目だし・・・」と、ガックリ肩を落とした人もいらっしゃることでしょう。
しかし、救いの道はあるということです。さしあたり、服装をパリッとキメればいいんです。

初対面では、相手を知ることに必要な情報はあまり見られません。そうした場合に重要となってくることが、服装やヘアスタイル。顔立ちやスタイルがちょっとくらい悪かろうと、服装がパリッと決まっているんだったら、人目を引くことがありうるのです。
それに対して、髪がボサボサであったり、シャツの襟に汚れが付着していたりしたなら、第一印象はガックリとダウンします。

それに加えて、「頭が悪そう」「信用できない」「仕事の出来なさそう」など、能力や人柄、社会的信用まで疑われちゃうことも考えられます。
おしゃれにお構いなしの人も、どんなに悪くても身だしなみは清潔にしてください。

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